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新しい視点で○○○を活動する 

ウルムチ・トルファンschedule

[2004年10月]
国慶節休暇を利用し、シルクロード(ウルムチ・トルファン方面)の一人旅に出かけた。
[第1日]
北京は秋晴れだが気温は15度と昨日よりかなり低くなった上に風が強いため厚手の上着か必要だ。北京空港内はいつもと同じの混み具合だが、旅行客ばかりでビジネス客はいない。先月からエアチャイナのエグゼクティブラウンジが使える様になり、ゆったりと待ち時間を過ごせる様になった。
ほぼ定刻に離陸。機体(B767-200)は新しい設備で座席の背もたれも高く座高の高い私には有り難い。天気が良いのと飛行機が通常より低空(8500m)を飛行しているため、眼下の景色がよく見える。しばらくして内モンゴルに入ると砂漠が現れどこまでも続く。太陽を追いかける様に西に進んで行ったが、ついに日没(19:24)。とても綺麗。だんだん暗くなって来て何も見えなくなり、地平線だけが未だオレンジ色に輝いている。 (写真の下に続く・・・)


<ビデオ一覧 >
天池
高昌故城 火焰山 艾丁湖 蘇公塔

20:45 ウルムチ空港到着。ウルムチは北京から約2400km西にあり、北京-東京間より遠い。新疆ウィグル自治区の区都で世界で最も内陸に位置する都市だそうだ。北京と同じ時間を使っているが実質2時間の時差がある。空港でガイドと待ち合わせホテル(新疆大酒店)へ。ホテルロビーで上海在住の日本人グループ(20人)に会う。雲南の時と比べ日本人が非常に多い。年配の人が大半だが家族連れも多い。
[第2日]
10時(北京の8時の感覚)に天池に向け出発。ガイドの代麗さん(女性:1981年生の23才)は日本語学校(2年間)を卒業し今年4月から旅行会社に勤めているとのこと。ただ、オフシーズンは仕事が無くなるため別の仕事を探し来年また復帰予定で、今年は私が最後の仕事とのこと。日本語はイマイチで美人でもないが真面目で明るい子。もっと日本語を勉強して将来は上海辺りで働きたいとのこと。
天池まで1時間半、道は整備されていて立派だ。車窓からは広大な荒れ地?に牛・馬・羊が放牧されている。高速をおりて残り30分は天山山脈からの清流に沿って登って行く。途中「パオ(丸い形をしたカザフスタン人の住居)」が所々に見える。全て観光用とのこと。料金所を過ぎると道は更に険しくなった。日陰の所には雪が残っている。途中で専用バス、更に電気自動車に乗り換えて進む。
突然視界が開け天池に到着。天気快晴。遠くまでよく見える。青い湖の奥に雪を被った天山ボゴタ峰(5445m)を中心とする山々が見える。中国のスイスと呼ばれるだけあって絶景である。ただ撮影には逆光なのがちょっと残念。ここは海抜1980mだが天気が良いせいか寒くは感じない。遊覧船(20元)に乗り湖を一周した。
昼食後、ウルムチ市内へ戻り本場の新疆絨毯の製造現場とお店を見学。以前に西安で見たのより規模も大きく立派なものが多いが見るだけで早々に引き上げた。
15:30、次の目的地のトルファンへ向かう。途中、道沿いに風力発電の設備が数kmにわたり連なっている所があり小休止。車を降りるとすごい風、さすが風力発電の場所だ。車は逆風を受けながら更に進む。平坦な不毛の土地がしばらく続いたが、その後、山々が見えてきた。山といってもそんなに高くはなく、石・砂利・土でできた裸の山だ。
途中で道を間違える。昨日の運転手が都合で今日は交代。同じ李さんだが、昨日の人の実兄だそうだが余り慣れておらず、かつ地図を見るのが不得意。初めての私が地図を見て指示するはめに・・。地図と耳を頼りにやっとたどり着く。地図で見ると約40km・30分のロス。でもよくこれで済んだ。
トルファンは中国で最も暑い所で夏は最高気温が40度を超える。49度になったこともあるそうだ。一方、冬は零下30度にもなる厳しい気候だ。広大な盆地(トルファン盆地)にあり、標高は数十mと内陸としてはかなり低地。年間降水量は17mm。乾燥しているため果物は甘くて美味しい。特に葡萄は有名で、黄緑色の種無し葡萄が多い。雨は少ないが水には困らない。天山山脈からの大量の雪解け水が地下水となってやってくる。
トルファンに着くと、明日の予定を繰り上げ、カレーズ(坎儿井)を見に行く。カレーズは天山山脈の伏流水をオアシスに引く地下水路で、万里の長城、大運河と並ぶ中国の古代三大土木工事の一つだそうだ。カレーズの近くの店で干し葡萄を味見してみた。みんな美味しいが、中でも「極品香」というのが飛び抜けて香りが良く美味しいので500g買った。他のより数倍高く50元もした。
中国一人旅でつまらないのは一人での食事。三人分位の量が出てきて結局残すことになるし、間が持たずに さっさと食べて終わりにしてしまう。そこで、ガイドの代さんと運転手の李さんに無理に頼んで、時々一緒に食べることにした(規則では別に食事をすることになっている)。その方が話も弾んで食事も美味しい。
夜、町中を散歩してみた。出店・屋台の出て賑やかだ。トルファンは人口:49万人で、70%がウィグル族。イスラム教徒なので回族と同じかと思ったら違うとのこと。男の帽子の色が違う。回族は白色、ウィグル族はカラフルな色。なお、回族の姓は「馬」が非常に多く、他には「代」等。但し、ガイドの代さんは漢族だそうだ。道にはロバ車が多い。実用・観光用の両方あり。また、家の入口、道沿い等、至る所にトルファンのシンボルの葡萄の棚がある。ホテル(吐魯番賓館)の前は大通り自体が大きな葡萄棚で覆われている。
[第3日]
9:00 高昌故城に向け出発。トルファンは今でもかなり暑いと聞いたが、今日は涼しく上着が必要だ。いきなり道に迷う。なんと高昌故城は行ったことがないと。道路地図もないため、3回ほど道をたずねやっと到着。途中、道沿いに煙突から火が出ているのが見えた。トルファンから哈密まで油田地帯があるとのこと。
高昌故城は西遊記で有名な三蔵法師が厚いもてなしを受け、お礼に1ヶ月間ここで仏教の講義をしたことでも有名な所。ロバ車(往復50元のとられた)に揺られて奥まで進む。土埃がすごく、靴とズボンが真っ白になった。帰りのロバ車を待っていると、突然声をかけられた。振り返ると、ADS(富士通の関連会社)総経理の篠田さんだった。家族と一緒にJTB(新紀元旅行社)のツアーで来ていて、今晩、敦煌に向かうとのこと。
次は、アスターナ古墳へ。夫婦のミイラがあったが特別面白いもの無し。ガイドによると、ここに来るのは日本人ばかり。確かに周りを見ると日本人だらけ。また篠田さんに会った。
次は、火焔山の山並みを抜けてベゼクリク千仏洞へ。壁画の保存状況や規模は敦煌の莫高窟には及ばないが、ここから見える周りの景色は素晴らしい。千仏洞と火焔山の間を縫うように川が大きな音を立てて流れており、その付近一帯が緑のオアシスになっている。
千仏洞の近くの火焔山の斜面を登っている人を見かけたので、途中まで行ってみることにした。敦煌の砂丘(鳴沙山)を登るよりは楽だが、それでも赤い砂利土が砂のように絡み付く。ラクダに乗って山を登っている人もいる。あんな急な所をよく登れると感心。振り返ると赤茶けた火焔山の山並みが壮大だ。この辺りは普段はかなり暑くなる様だが、今日は薄曇りでちょうど良い陽気。斜面の中間点まで登ったところで時間切れで引き返す。
ホテルに戻る途中、「火焔山旅游風景区」という所に立ち寄る。ここからの火焔山が最もきれいとのこと。国道の一角を金網で括って施設を作って西遊記絵巻など色々展示しているが人工的で面白くない。入場料(20元)を儲けるためとしか思えない。一応、火焔山バックに記念写真。ところで、火焔山といえば三蔵法師が馬を繋いだ杭や猪八戒に似た岩が有名だか、そこは行くチャンスがなくて残念。
昼食後は、トルファン地区博物館を見学予定だったが、日本人以外はあまり行かないと聞いて中止し、代わりに「アイディン湖(艾丁湖)」に行くことにした。海抜マイナス154mで中東の死海に次いで世界で2番目に低い所で、今回の予定には無かったが是非とも行ってみたいと思っていた。アイディン湖は市内から60kmの所にあるが、普通の車では行けない。500元でやっと行ける車を見つけた。但し、途中(吐峪溝という所)まで回族(イスラム人)二人と相乗りが条件。
14:40、私とガイド、白い帽子の回族二人組、運転手の5人で出発。しかし、アイディン湖は南にあるのに東へ東へと向かう。問い正すと「吐峪溝」はかなり東の所にあるとのことで、1時間近くロスするが止むを得ない。運転手は、アイディン湖より吐峪溝の方が綺麗で素晴らしいと盛んに勧める。確かに着いて見てみると大きなパノラマ的な景観だが、人工的な感じで好みでは無い。
15:20、回族2人を降ろして再出発。30分位進むとすごい悪路になり、車が壊れそうな位激しく揺れる。運転もかなり荒っぽい。これでは車高が高いアウトドア用でないと無理だ。しばらく行くと、所々に塩水が殆ど干上がった小さな池(というより水溜まり)が点々と見えてきた。また、土を掘り返した跡も至る所にある。塩を採っているとのこと。一時間位進むと行き止まりに。ここがアイディン湖? でも確か「艾丁湖」の石碑がある筈。道を間違えた様だが運転手は何とかここで済まそうとしている。怯まずに引き返して別の道を探させる。結局、3回間違えてあきらめ模様になった所で、17:25、ついに「艾丁湖」の石碑発見。湖は干上がって見るべくもないが、やっと世界第二の低地にたどり着いた。感激。それにしても、道の途中に案内板が全くない。それだけ誰も行かない所なのか。石碑の所で、ウルムチから車と自転車で来た四人組に出会った。道中は誰にも会わなかったことを考えると奇跡的だ。記念に塩の固まりを拾い、写真を撮り、たった5分の滞在で帰路につく。また一時間は悪路が続く。途中、運転手が盛んにお腹がすいた話をする。彼は回族で昼間飯を食っていないという。断食しているのかと聞いたら、今日は忙しくて食べる時間が無いとのこと。確かに、ラマダン(断食月)は未だだねと大笑い。18:20、悪路を抜け普通の道へ。19:10、ホテル着。疲れたが達成感あり。
夕食後、ウィグル族の歌舞(歌と舞踊)を見る。ウィグル族の女性は彫りが深く美しい。最後は観客も加わって一緒に踊って盛り上がった。夜はホテルで按摩。100元/時間とかなり高め。按摩士は西安の21才の女性。ウィグル族が大多数のトルファンでは地元の按摩士はいないそうだ。按摩の腕前は「中のやや上」。
[第4日]
朝、予定になかったが、トルファンのシンボル「蘇公塔」へ。高さ44mの塔には登れないが、横のモスクの上に登って一面の葡萄畑が見渡せる。
10:00にウルムチに向けて出発。また3時間の旅。途中、達板城(ダーバンチャン)という小さな町を通る。ちょうど、中国語の本に「達板城の姑娘(お姉さん)」という歌があったので覚えている。ガイドによると昔は歌のように美人が多かったが近親結婚が多いせいで最近は美人でなくなったとか。列車と並行しながら更に行くと「塩湖」が見える。死海並みの塩分濃度だそうだ。近くには塩の工場(観光用)も見える。
13:00、ウルムチ到着。昼食後、お土産屋へ。日本語が話せる店だと言うが、私はどうせ行くなら地元向けの店に行きたかった。しかし、彼女の立場も考え、ちょっと見てみることにした。案の定、一般的で高価な店。でも、地元の弦楽器(四胡の一種)が妙に気に入り値段交渉。半分に値切った所で粘らずに手を打った。
次に、新疆ウィグル自治区博物館へ。新館は工事中(来年完成)のため展示物は非常に少ない。楼蘭の美女のミイラを身近にみた。眉毛や髪の毛一本一本までちゃんとしていたのには驚いた。白人そうだ。その他に10体のミイラがリアルに展示してあった(ミイラばかり見て気持ち悪い)が、それ以外は目ぼしいものは無かった。その後、市内を一望できる紅山(934m)に登る。ウルムチは今や高層ビルが林立する大都市となっている。山頂に清末の政治家でアヘン戦争で有名な「林則徐」(福建省出身)の像があった。
夕食後は街を散策。ガイドの代さんには危険なのであまり遠くまで行くなと言われたが、1時間以上かけてウィグル族の屋台の多い解放南路の先まで歩いてみた。ウルムチは人口の8割は漢族だそうだが、この辺りは8割が回族かウィグル族だ。活気がありお祭りのような賑わいだが、確かに深夜一人で歩くのは怖いかも知れない。夜はまた按摩(足と全身の2時間で160元)。按摩士は地元の22才の漢族の子。旅行に来て按摩をしながら地元の人と話すのは楽しみの一つだ。技術は中の中。ところで、新疆には少数民族の言葉は色々あるが、普通語は十分通じる(なまった感じはあるが)。
[第5日]
最終日はホテルで11時までのんびり過ごした後 空港へ。
チェックインカウンタで「前方右窓側」の席を無理やり確保。来る時見れなかった天山山脈をどうしても見たかったからだ。運良く空は快晴。離陸して直ぐに万年雪を抱いた天山山脈の大パノラマが見えてきた。手前の赤茶けた大地から天山山脈に続く大地のうねりが何ともすごい。粘った甲斐があった。しばらく行くと山脈が次第に低くなり赤茶けた大地から砂漠へと変わっていく。また、北京近くで「空からの万里の長城」を見ることができた(初体験)。
[最後に]
ウルムチで「第一号氷河」に行けなかった(7-8月以外は雪が深く観光禁止)のは残念だったが、好天にも恵まれ、また「艾丁湖」にも行け満足。前回(雲南旅行)より時間的にかなり余裕があり、疲れずにのんびりと旅行ができた。