このサイトは私の叔父「坪井 克」が 「茨城県常陸大宮市野上」の自然や人文を長きにわたり調査・収集・分類した記録を、より多くの方に見ていただきたいとのご家族の意向を受け掲載したものです。
2022年4月 坪井 洋治 ご意見・ご感想はこちらまで
まえがき
- 私は昭和8年に旧山方村野上の地に生をうけ、大東亜戦争の真只中での少年時代を過ごしました。元々農家の生まれ農家で育ち昭和33年に山方町役場に就職するまでは毎日百姓を手伝い、百姓のことは何でもやりました。したがって冠婚葬祭や行事、祭り、風習などすべて顔を突っ込んで指導をうけ経験しました。
ここで書いたことは、全部自分が実際に経験したもので、記憶をたどり書いたものです。特に魚捕りが好きで川でのことは何でも経験しました。
昭和20年8月15日、朝からうだるような暑い日で、この日は6年生数人で現在のケビン村付近の赤松の大木の森で軍用燃料にするとのことで松の油(松根油)とりをしていた時、先生から作業をやめて学校へ戻るようにとの連絡を受け戻りました。天皇陛下の終戦の玉音をラジオで聞きました。すべてが終わった。一生で一番忘れられない一番長い日となりました。
子供の頃は、ラジオもテレビもなく、遊びと言えば野山で木登りや、草野球、兵隊ごっこなどをして、物がない時代の中でも、のびのび過ごし幸せでした。
内容は、旧山方町を中心としたものです。
文章の中で理解できない所や読みにくい部分が随所に出てくると思いますが、内容が判って頂ければよいということを前提に書きました。出来るだけ写真を多くして判りやすくしました。どうぞご笑覧下さい。
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祝辞
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ふる里の昭和・平成集を上梓されるにあたり
元山方町長・前常陸大宮市長 三次真一郎
- 常陸大宮市大字「野上」を中心にした自然や人文を20数年の長きにわたって兀々(こつこつ)と調査、収集、記録、分類され、このたび『ふる里を記憶と写真で綴る昭和・平成』という冊子にまとめ、関係者や後輩・後世のために上梓された坪井克さん、誠におめでとうございます。と同時に、心から敬意と感謝を申し上げます。筆者は今年満88歳、米寿(正確には数え年なので昨年かもしれませんが)を迎えられました。重ねてお祝い申し上げます。
ところで、私の妻の祖母(名前は「てつ」といいます)は、坪井克さんの家から来て祖父(名前は「野上仁平」といいます)と結婚しました。また、私が町村合併前の山方町議会議長(昭和62・63年)のとき、著者は議会事務局長として当時30代だった弱輩の私の面倒をよく見てくださいました。さらに私が山方町議員会長の平成6年1月、議員会主催のイタリア・ギリシア訪問団に同行していただき、エーゲ海クルーズではアーモンドの花咲くエギナ島に上陸。エギナの女神を祀るアフェア神殿で著書とツーショットしたときのことを懐かしく思い起します。そして、縁あってご次男の研二君と千恵子さんの媒酌人を務めさせていただきました。ことほど左様に、著者と私は公私にわたる長いご厚誼があって今に至っており、このたびのご上梓は人一倍の嬉しさであり、寄稿の喜びも一入(ひとしお)のものがあります。
さて今回の著書は、8編124項目と「野上の言葉」約850単語、そして多くの写真から成り立っています。通読させていただきましたが、「あそび」編では私も経験したことのある遊びを楽しく追体験させてもらった一方、「水ハゴとバカハゴ」「ブッチメ罠」など未経験で全く知らない遊びも紹介されておりました。また、「漁猟」編の「うなぎ鎌」「イタチのバッタ罠」「野うさぎのヒックグシ罠」は見たことも聞いたこともなく、遊びと漁猟が一体となっている様にも見受けられ、私にとっては興味津々で物語にぐいぐい引き込まれてゆく思いでした。私も子供時分、久慈川の本流ではない小さな川で、ドキドキしながら「テビシャギ」で魚を捕まえたものでした。「石タタキ漁」もやりました。これらは、われわれの祖先である縄文人たちが1万年以上も昔から実施してきた原始的かつ伝統的な漁法で、それを後々の子供たちが引き継いできた最も手軽で簡単な魚の捕まえ方だと思います。豊かな野山や河川の恵みを享受するためには、その豊かな山河を大切にしながら自然と共生してゆく工夫が必要です。それにしても、著者の時代の子供たちは今と較べて何と知恵があったのだろうと、感心したり納得したりしながら次へ次へと興味深く読ませていただきました。「信仰」編の「八丁じめ」や「年中行事」編の「しわすついたち」川浸しも初めて聞くものでした。一方「山方空襲」で親友だった同級生が死亡したこと、アメリカ兵が現在の常陸大宮市山方支所に来たときの様子を綴った「敗戦直後の出来事」等々、緊張なくしては読めないものもありました。
著者と私との年齢差は15歳ですが、親子ほどの差があるでもなく、兄と弟ぐらいの隔たりにも拘わらず、時代の流れが速いせいか、また生まれ育った所が野上と山方の違いのせいなのか、共通している点もあれば、そうでない点も多々ありました。ですので、この冊子は私にとっても大変意義深く、是非多くの人の自に触れてほしいと願いながら読ませていただきました。
著者が冊子の中で、語っていましたが、「地名」編の「サイコ入り」の推定樹齢500年の「サスルベリ」は既に枯れてしまい、「越地」の石炭を掘り出したという「坑道跡」も今はなく、「年中行事」編の「山入り」「鍬入れ」などの諸行事も今では廃れてしまい、時代は昭和から平成、平成から令和へと急速に移っていて、後ろを振り向く暇もなく超音速旅客機に乗せられたまま先へ先へと進んでいるような気がしてなりません。古いものがなくなり、捨てられ、忘れ去られることは已むを得ませんが、それらがすべてなくなれば人は根無し草になってしまいます。形あるものはいずれなくなっても、そこに生きて次代に承継しようと努力された著者の意思と業績は誠にすばらしいものがあります。今回の冊子の中には、野上のたくさんの宝物が埋もれています。関係する多くの人たちに読まれ、その宝物がより多くの人たちの目に触れて広まっていけば、著者の本懐になるのではないかと思量します。
願わくば、この冊子に触発され、著者の意思を引き継いでくれる人がひとりでも多く現われ、実践してくれれば幸いに存じます。そうなることが、郷育立市を推奨してきた者としての喜びであり望みでもあります。
結びになりますが、坪井克さんのこのたびのご苦労にあらためて敬意と感謝を申し上げ、ますますのご健勝とご多幸を祈念して擱筆いたします。
著者略歴
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坪井 克 (つぼい かつ)
昭和8年4月24日
旧山方村野上(現常陸大宮市野上)生まれ
山方町立新生中学校卒業
山方町役場職員
(最終職:山方町議会事務局長)
山方町立野上小学校PTA会長
山方町立山方中学校PTA副会長
県立山方商業高等学校PTA会長
山方町野上一区区長
[趣味]
魚捕り盆栽書道
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