都江堰・青城山schedule
2004年4月
会社関係で「敦煌」に行く機会があり2泊3日の旅をした。(以下、写真の下に続く)
[4/29(木)]
15:30に北京空港を出発。飛行機は小型ジェット(BAe-146)で、銀川を経由しての4時間の旅である。
20時過ぎに敦煌空港着。まだ明るい。敦煌は北京から1900km真西にあり、北京よりが実質1時間40分遅いことになる。敦煌は「沙州」とも呼ばれ、その名の通り広大な砂漠に囲まれたオアシス都市でシルクロードの交差点である。敦煌の年間降水量はたったの40ミリ。一方、蒸発する水量はその2400倍。夏冬・昼夜の温度差も大きく、まさに砂漠地帯のど真ん中と言う感じである。
空港から市内までは13kmと比較的近い。途中ポプラ並木が続く。時々杏の木も見える。この辺りの畑は以前は小麦を作っていたが今は全て綿花だそうだ。米がとれないため、ここの主食は麺だそうだ。
入口の門をくぐって市街に入る。敦煌は人口18万人、この内9万人が農民の小さな街である。20分足らずで宿泊地の敦煌賓館に到着。四つ星。設備はイマイチだが格調の高いホテルである。チェックイン後、近くのレストランで遅い夕食をとった。
[4/30(金)]
朝のレストランは熟年の日本人だらけ。さすがシルクロードの主要地だ。たいした料理は無かったが、蘭州牛肉麺が非常に美味しく感じた。
天気は薄曇り。気温は14~26度で北京とほぼ同じ。絶好の観光日和だ。8時に玉門關に向けて出発。玉門關は敦煌市内から西北へ100kmのゴビ砂漠の真っ只中にある。
途中、狼煙台、映画村、墓(土葬だそうだ)が見えた。砂漠の細い道は入る。「駱駝草」が所々に生えている。ここの砂漠は「ゴビ砂漠」と呼ばれているが、実は、ゴビ(小石の意味)と砂漠(砂の意味)は別で、場所も別れており、この2つの間には河あるそうだ。
まず先に「漢代の万里の長城」に到着。北京近郊の「八達嶺」とは全く規模が違うが、2000年の風雪に耐えた姿で横たわっていた。
この後「玉門關」へ。玉門關は古代の関所跡で、漢代はここが国家の権力が及ぶ西端の場所であった。今は25m四方・高さ10mの城壁が残るのみである。近くに、砂漠の中に水か溜まっている所(湿地?)もあった。
市内へ戻り昼食をとった後、世界遺産の「莫高窟」へ。莫高窟は千仏洞とも呼ばれその名の通り1000以上の洞窟があるが、発掘されているのは500弱だけ。それでも総面積4.5万平米に及ぶ壁画と、2000体を越える塑像がある。最も古いものは4世紀で、その後1000年にわたり堀り継がれた。本当に素晴らしいの一言。中でも、次の3つが印象に残った。
・第158窟(涅槃窟)「臥仏」:特に左側(頭の方)から見るお釈迦様の顔が美しい。
・第130窟「大仏」:高さ26mと巨大で立派。洞窟の中に入って見上げてびっくり。
・第57窟の「樹下説法図」:「脇侍菩薩」の美しさには目を見張る。
洞窟内は撮影禁止だったので、少し高かったが豪華な写真解説本を購入した。
次は、「鳴沙山」。入口から駱駝に乗って山のふもとへ。駱駝は初体験。乗り降りの際に、前膝をガクンと折り曲げるが、この時に結構揺れて怖いが中々楽ちんだ。ふもとまで来ると、近くに「月牙泉」が見える。砂の中から湧き出た三日月形の湖だ。
月牙泉の畔にある楼閣に登ってまわりを見てみる。鳴沙山は月の砂漠を進むキャラバン隊のイメージに近い風景を体験できる場所と言われるだけあって本当に素晴らしい。特に、風が作り出した鋭角な砂丘にできる日向と日陰のコントラストは幻想的だ。砂を良く見てみると、赤・黄・緑・白・黒の5色があり、天候や太陽の角度によって様々な色合いになるようだ。
砂山の頂上まで歩いて登ってみる。登り易い様に階段みたいなものが付いている所(有料?)もあったが敢えて何も無い砂の斜面に挑戦。細かい砂が足にまとわりついて、中々前に進めない。 靴の中も服も砂だらけになった。最後はかなり苦しかったが休みながら何とか頂上に到達。気分は爽快、眺めも最高だ。日が沈むまで待って夕焼けの風景を見たがったが、時間の関係で諦めた。下山は 滑り台を滑り降りるように一気に駆け降りた。
夕食後、みんなで爆竹を鳴らしてはしゃいだ。
[5/1(土)]
同じ型の飛行機で帰路につく。実質一日の観光であったが、盛り沢山で楽しい旅行だった。